警笛で幕を開けた二千年(コラム1)


はな/華道専慶流いけばな・西阪慶眞
花器/扁平形創作花器

葉牡丹3

 千年紀の新しい年、二十世紀最後の年、年号の数え方に微妙な違いはあっても私達は今、巨大な時間のつなぎ目の瞬間に立ち会っている。五感を通して何を捉え、何を思うのだろう。とりわけ「記念日」にこだわりを持つ私達に、ぼんやり過ごすにはあまりにも勿体無い大きな節目、特別な新年であり、意味深い一年であります。
 そんな大きな節目が待ち受けたのはY2Kのコンピュータ誤作動危機問題による生活不安。水道、電気、ガス、電話、交通機関が一瞬にしてストップするかも知れないと云うものだった。世界規模の回避努力が最後まで続けられたことは云うまでもないが、なかには「すべてが止まればいい」と考える人も少なくなかったのも事実。ある意味では私も同意見組の一人。資本主義社会の警告、反省になればと云う思いからである。イデオロギーの底辺に流れる「欲望」が根本にある発展に、本来の幸せや満足は存在しないのは良識ある人なら誰しも承知しているところ。
 生活が便利になった反対側の「罪」、つまり、何万年も保たれ続けた自然、調和を乱し続けている功罪、植物連鎖を断ち、人と人の大切な絆までも断ち切ったこの代償はあまりにも大きい。次世代にいい形で受け継ぐための世論の高まりが、巨大化した欲望にブレーキをかける事にはならないのだろうか。「自分だけがよければいい」自己中心的社会を築きあげてしまった資本主義社会の反省を、輝く新しい社会の創造に結びつけなければいけない。工業化によるモノ過剰社会を排除する消費者の拒否姿勢もこれからは堂々と表面化させ、この辺で満足する心、感謝の気持ちを持たないと、地球汚染にブレーキを駆ける事は出来ない。
 何度も書くが二十一世紀は「もの」社会から「心」の時代に入るのは間違いなく、打算のない心の行き来が「あたりまえ」にならなければいけない。いけばなはそのささやかなお手伝い的存在なのです。だからこそ、そのための玄関花の復活を願わずにはいられないのです。
 自然と人間が対話する心の姿、人間の証しである生活の知恵(暮らしの文化、心の豊かさ)を今一度見直す最後のチャンス。この緊急警告を発した二千年の幕開けはいけばな再考の鐘でもあるのです。


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